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<どがんしよらすと?>シリーズB

 最近あの人みていないけど元気? どがんしよらすとやろか? ちょっと変わった(?)活動をし、イキイキまぶしい毎日を送っている会員を不定期に紹介するこのコーナー。第3回目に登場いただくのは、ずっと東京北星会の学年幹事をされていましたが、定年ナシの自営業と創作活動で忙しく降りられた 高祖一幸さん(4回生)です。

(取材・文/桑島まさき)


  高祖さん-1   高祖さん-2  

<プロフィール>
高祖一幸(こうそ かずゆき)
昭和8年生まれ(72歳)/4回生
大学卒業後、舞台美術に携わり、その後独立。
看板製作業を自営し現在も現役。武蔵野美術大学時代の
仲間と時々内輪の展覧会を開催している。
【家族構成】子ども3人、孫3人
【趣味】クラシック音楽鑑賞、読書、町の散策

人生は流れる川のごとし……

 高校卒業後、経済学部に進んだ高祖さんは、子どもの頃から好きだった美術への思い絶ち難く、再度受験して武蔵野美術大学(以後、“武蔵美”と表記)へ再入学する。高校在学中は美術部に所属。マンガもよく描き「朝日グラフ」に掲載されたこともある。武蔵美では、油絵(当時は西洋画と呼ばれていた)を専攻し、将来はずっと絵を描いていきたいと思った。
しかし、高祖さんの時代、作家や画家など先の見えない(収入が保証されない)職業につくことは冒険に等しく家族に反対された。現在のように、表現の場が溢れている時代ではなかったのだ。安定した生活をするためにまずは就職をしなければならず、俳優座で舞台美術をすることになった。フリーになり、やがて看板製作業にのりだし、70歳をこえる現在でも現役だ。同時に展覧会への出品も続けてきた。

高祖さんは現在、4回生の「どがんしよっと会」の会長職をしている。この会は関東地区に在住する同級生60名近くが、年1回の新年会と旅行会に参加し親睦を深めている。
50歳の時に愛妻をなくし、現在は娘さんと2人暮らし。作業場である自宅で仕事をし、合間に創作の時間をとる。しかし、武蔵美で本格的に絵(主に風景画)を勉強した一人だ。中途半端ではない。描きたい風景を探すために町を歩き廻り、一旦きまったら、写生しながら何を削り何を加えるか頭の中で論理的に考え構成する。描き始めるまでに相当な時間を要する。
「絵は数学です。何を描きたいか決まるまで、本質をつかむまで、ポケットにスケッチ帳を忍ばせ町を散策します。絵をかくのは楽しいですが苦しみの方が大きいですね」と語る高祖さんの言葉には、アーティストとしての誇りが感じられ身の引き締まる思いがした。 互いに切磋琢磨して芸術品を生み出してきた武蔵美の同年会の仲間たちとは、定期的に展覧会(「武蔵美33」)を開催している。
気心のしれた観賞眼のある仲間たちと集う内輪の展覧会だそうだ。

ところで、今年は戦後60周年の節目にあたる。戦争が終わった時、高祖さんは12歳だった。戦争を知る世代の一人として高租さんが薦める忘れ難い映画は、今井正監督の「また逢う日まで」(1950年)。戦時中を舞台にした恋愛映画の傑作だ。
よく読み返す本は「方丈記」や「雨月物語」のような古典文学、最近の文学では藤沢周平の作品が好きだとか。現代社会のぎすぎすした中で日本人がつい忘れがちな湿り気のある人との絆や、生きることのすばらしさや感動を与えてくれる作品が好きなのは、やはり、戦中派という事実とは無縁ではないだろう。
人生を川になぞらえて、焦らずゆっくりと時の流れに身をまかせ悠然と構えて生きる高祖さんは、マイペースで今日も「高祖川」を流れる。誰にも真似できない自分だけの川の流れだ。


以上、<フリーライター・桑島まさき>こと<編集委員(31回生)桑島千秋>のレポートでした。

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