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  大石一久さん(22回生)は、母校(1990〜1992)をはじめとするいくつかの高校で教鞭をとるかたわら、石造物の研究を続けてきた。その大石さんが、戦国時代にキリシタン大名の名代としてヨーロッパに渡った「天正遣欧使節」の4名のうちのひとり、千々石ミゲルのものと思われる墓石を発見した。この本は、大石さんがその墓石をミゲルのものと判断した根拠等を、詳細に述べたものである。  
     
 

大石一久著 「天正遣欧使節 千々石ミゲルの墓石発見」

 
 

長崎文献社 2005年4月刊 本体価格1,680円

 
         
   

 この本は、まず、「天正遣欧使節」が派遣された経緯・その成果を紹介をしている。

 天正遣欧使節とは、戦国時代に、大村純忠・大友宗麟・有馬晴信の3名のキリシタン大名の名代として、ローマに派遣された4人の少年使節である。4人は、12〜13歳で、1582年に長崎港を出発、2年半後の1584年8月にリスボンに到達、同年11月にはスペイン国王に謁見。さらに1585年にはローマに着き、最大の目的だったローマ法王への謁見を果たした。法王への謁見時、彼らは15〜16歳でしかなかったにも関わらず、立派な立ち振る舞いで役目を果たしたという。大石さんは、「その成果は、日本を文明国として世界に認知させ、近代日本を築き上げる礎になったことはまちがいない。」と断言する。

 
         
 

 しかし、「天正遣欧使節の快挙は、江戸幕府の統一的な国家権力のもとで悲劇的な結末で幕を閉じ、歴史のなかから抹殺された。」 苦節を重ね、8年半もの長旅を終えて長崎に帰った4人の少年を待ち受けていたのは、バテレン追放令を発布していた豊臣秀吉の世であった。

 大石さんは、続いて、千々石ミゲルのドラマチックな生涯を、史書に基づいて紹介する。江戸幕府が確立していくとともに、ミゲルらを取り巻く状況は一層厳しくなっていく。ミゲルは、イエズス会に入ったものの約10年後には脱会して還俗し、名を清左衛門と改めて妻をめとり4人の子を得た。他方で、ミゲルは大村藩の家臣となったが、藩からは冷遇されたという。

 そして、2003年12月に大石さんが初めて千々石ミゲル(夫妻)の墓石と思われる石塔「伊木力墓石」に接した経過が述べられる。さらに、この本の最大のテーマである、著者がこれこそがミゲル(夫妻)の墓石であると判断するに至った根拠が述べられる。視点を変えながら、詳細に検討を加える真摯な態度には、好感を覚える方が多いであろう。

 歴史や郷土に関心をお持ちの方は、是非、一読していただきたい。

 
 
(22回生・宮田 学)
 
     
   
     
   
     
 

長崎県関連の多くの歴史書を出版している長崎文献社のHP

 
     
 
 
  「長崎県の歴史散歩」

 大石さんは、2005年6月に発行された「長崎県の歴史散歩」(編者 長崎県高等学校教育研究会 地歴公民部会歴史分科会、株式会社山川出版社、本体1200円)の執筆も担当されています。

  「天正少年使節」

 天正少年使節に関しては、波佐見出身の福田清人さんが1983年に発行された講談社の児童文学創作シリーズの著書があり、2回生の山口景昭さんが、カバー絵と挿し絵を担当されています。

 
     
     
   
     
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