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佐世保北高
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恩師便り
       
  福地 萬三晃先生(英語) 1964年(昭和39年)〜1970年(昭和45年)  
 
 
 
昨年今年、水車を回す水の如。 定年退職してからほぼ6年が過去となった。

プラスから マイナスばかり 定年後(川柳)
定年後は「晴耕雨読」の悠々自適の生活、第二の人生を送ろうと決心した。
田圃は小作に出してあり、畑は二反ほどあるが、この20年間ほど手はつけていない。竹や笹、セイタカアワダ千草、萱など自生している。現在、五畝ほど畑らし くなった。玉葱、ごぼう、大根、さがみグリーンなどかなり大きくなっている。
火曜日は、健康のために吟詠を学んでいる。毎年一回、昇段試験があり、今年6月に奥伝に挑戦するつもりでいる。 (2008年1月)
海鼠腸(このわた)を 無上の友に うまし酒

海外の旅 '79(NO.1)

2ヵ月間の米国研修を終えてサンフランシスコからハワイ経由で帰国する途中、米国で訪れた土地、 そこで学んだことや出会った人々のことを考え、このすばらしい機会に恵まれたことに感謝した。 帰国したら直ちにしなければならないことは? お世話になった人々に日本の絵はがきで無事に帰国 したことと感謝の言葉を伝えることだ。つまり、QUICK RESPONSE! 日本の社会より 格段に変化に富み移動の激しい米国社会で特に重要な礼儀……これはフレンドリー米国人に接すると いろいろな場面で気づくことだが、特に、ほんの数分話して別れた高校生のダニエル君が印象に残っ ている。彼は、英国からの留学生で、私がホームステイさせて頂いたドクター・キャッツのジョージ の息子さんの友達であった。数日間キャッツ家に滞在し、私と入れ替わりにジョージと一緒に高校の 寮へ帰るところだった。その日の夕方、花束が届けられていた。「サンキュウ、フクチ!」とキャッ ツ婦人に言われ、びっくりして「私ではなくて、きっとダニエルですよ。」「オー、ダニー!」…… 彼女の嬉しそうな表情とダニエルの心遣いが忘れられない。

旅は非日常性の体験と言われるが、同じ所に長期滞在すると日常性の一部をかいま見ることが出来る ようだ。そういう意味で、ホームステイは得難い貴重な体験だ。ホストファミリーの勇気と温かいも てなしに感謝感謝! 米国で2回ホームステイを経験した。 8月中旬の土・日曜日にジョンの家庭にお世話になった。デトロイト市郊外に住む30歳くらいのGM 関連会社の社員で、臨月間近の奥さんと小学校1年生の息子の3人家族。彼の趣味はドライブでトヨ タの車かホンダのバイクを乗り回すとのこと。土曜日はミシガン湖畔に、日曜日にはボストン美術館 へ連れて行ってくれた。彼の質問のほとんどは、日本の産業やそれに携わる人材の教育に関すること だった。幸せそうな小さな家族にウィークエンドを楽しませてもらった。

9月初旬、10日間ホームステイさせていただいたキャッツファミリーも素晴らしい人達であった。主 人はアーノルド・キャッツという大学教授でカーディオロジィ(心臓科学)のドクター、奥さんフィ リスは私が1週間スクール・ビズィッツさせてもらったミス・ポーターズ・スクール(私立女子校) の先生で専門は中世英語、息子は私立高校生、娘キャシーは可愛い小学生。初日、小学校3年生のキ ャシーに家の中を案内してもらい、シャワーの使い方、洗濯機、乾燥機、掃除機の使用法等を教えて もらった。彼女とは、数回地下室(物置兼家族のレクレーション場)で卓球を楽しんだ。躾は厳しい らしく、キャシーはある程度自分の役割と節度を心得ていたが、ある時母親が「プリーズ」をだんだ ん大きな声で繰り返し、叱っているのが聞こえてきた。

ドクター・キャッツはカーディオロジィの権威者として多忙らしく、私が滞在している間も西ドイツ やイギリスへ講演に出かけていた。週末、パーティーへ連れて行ってもらった。十数組の夫婦のパー ティーで、ほとんどが科学者や医者であった。帰宅後、夫婦共用の書庫兼書斎(約150平米)で、パ ーティーでの話について3人で意見交換をした。「DNAの解明とタンパク質の生成過程について」、 「ガンの制圧」、「科学と倫理」、「ジェネラリストかスペシャリストか」、「大学入試について ーSATの功罪」等。高度な内容なので専門用語に対する私の英語力の貧困さのために科時間がかか った。日曜日には早朝より芝刈りやペンキ塗り等でアーノルドは忙しい。もちろんフィリスも多忙で ある。とても仲睦まじいが、時々まじめな話題で激論することもある素晴らしい夫婦である。日曜日 にはジョージも帰宅し、5人でスキヤキを食べながら歓談できた。 ホストファミリーの言葉に"Make yourself at home."があるが、その根底に は次のようなことがあると感じた。日本での所謂「お客さん」としてくつろぐのではなく、家族の一 員として自由と独立の精神の一部を発揮して、『自分で出来ることは責任を持って進んで自分でしな さい』といういみと、『平常の家庭生活を国利ながら最大限に心の交流を図りたい』という気持ちが。

海外の旅 '79(NO.2)

米国に興味を抱いたのは、英語で手紙が書けるようになり文通を始めた村立久間中学校3年の時(昭 和31年)であった。カリフォルニア州ロングビーチに住む11歳のDee Dutroという美少女が ペンパルで、年数回の文通が6年間ほど続いた。生活様式と生活レベルの違いがあまりにも大きく、 ショックの連続で書く事柄に窮することがしばしばだった。たとえば、夏休みの私の生活は、畑の雑 草を引き束ねて稲田に埋め込む作業やガンズメ堀りや牛、山羊、豚の飼育等だったが、彼女の生活は、 家族そろってのキャンプ、ヨットでのハワイ就航、友人とのメキシコ旅行等であった。一方、彼女が 送ってくれたカリフォルニア州内外の名所や観光地の美しい絵はがきはワンダーを感じさせてくれた し、インディペンデンス紙は米国のニュースに触れさせてくれた。

それから20数年後、米国訪問が実現し感無量であった。わずか2ヵ月の滞在であったが、様々な経験 が出来て意識レベル向上に役だったと思う。10人くらいのグループで河川の浄化施設、富裕者の老人 用施設、貧困者の養老院、裁判所、警察署、消防署、高層デパート、広大なスーパーマーケット、歴 史資料館、美術館、博物館、ランナウェイハウス、新聞社、公園、学校等を訪問した。案内してくれ る人たちに時間的な迷惑をかけないように、事前にグループで質問事項を精選して訪問した。それぞ れの訪問を通して米国の様々な長所・短所を学び考えさせられた。

ここでは9月上旬単独で行った学校訪問について記しておく。訪問校はコネティカット州ファーミン トンという町にあるミス・ポーターズ・スクールである。初秋の紅葉が所々に見られる緑豊かなロー リグヒルの中腹に美しい広大なキャンパスがあり、メイン・ビルディングを中心に十数カ所にハウス (教室のある家や建造物)が点在している。ミス・ポーターズ・スクールは全寮制で世界40カ国位か ら集まった優秀な女子―彼女たちのほとんどがアイビー・リーグの大学かそれらに相当する優秀な大 学志望であるーが学んでいる。(但し、少数であるが、地元から通うデイ・スチューデントも学んで いる)カリキュラムはほとんど全部選択制で生徒の進路・興味・関心・能力等に応じて選べるように なっていて、科目数の多さに驚いた。その一部(16科目)の授業を参観したが、どれも6人〜18人の 生徒数のクラスで、ディスカッションや生徒の発表や実技を中心にした授業形態である。理系教科は 日本の高校とほぼ同じレベルだが、文系教科は日本の大学教養部のレベルであると推察した。この学 校で7日間研修したが、生徒会長・副会長が校内の案内をしてくれ、しかも私たちのために放課後生 徒を集めて彼女たちに話す機会を設けてくれた。ランチの時、会長に「あなたの将来の夢は何?」と 尋ねると、「ファーストレディとして活躍すること。」そして、実際F.L.になったここの卒業生 について教えてくれた。

キャンパスが広いので自転車で移動する生徒がかなりいる。先生も生徒も数冊の分厚い本を抱えて授 業に臨む。彼女らの読書量の多いこととそれに基づく自分の意見の組み立てのうまさに感嘆した。さ らに、学習の広さと深さにも感心した。例えば、文学関係では、欧米の作品だけでなく東洋の作品も 鑑賞していた。あるクラスでは、川端康成や三島由紀夫の作品(英訳本)を鑑賞していた。また、美 術史のクラスでは、多数の美術館の所蔵品のスライドを使って、ある時代について考察を深めていた。 彼女たちの月曜日〜木曜日昼夜の猛勉強(金曜日は昼間のみ)に圧倒されながら、日本では制限され た知識を教えるだけで、本来の知育がなされてきただろうかと感じた。

教師の学習と活動も素晴らしかった。学校訪問中、朝から晩まで特にお世話になったのがイブ・サン ドバーグ先生(世界史の近代・現代が専門)という若い知性あふれる女教師だった。彼女の講座の一 つ『資本主義の台頭』を数時間参観させてもらった。授業は課題に対する生徒の発表から始まり、問 答が続き、新たな課題ができ、参考文献が示されて終わる。彼女は、放課後、国際アムネスティ支部 大会、図書館、美術館、ハーブ園等へ案内してくれた。彼女自身はアフリカに関心があり、そこへ出 かける準備をしていた。(実際、85年にザンビアから便りがあった。)この学校訪問で印象に残った 者は、女性の進取の精神、生徒の自主的な学習、知育の素晴らしさ、教師と生徒の知性的な美しさで ある。
(2008年1月末日/受取)

 
     
 

2006年の東京北星会第14回総会にご出席いただきました。

 
         
 
福地萬三晃先生
 

福地先生には、2006年6月4日に東京會舘で開催された第14回東京北星会総会・懇親会に、ご出席いただきました。

その際の福地先生のお話を、音声で掲載しています。

お聴きになりたい方は、こちらをクリックしてください。

 
         
 
 
     
       
 

<佐世保北高との出会いと別れ>

   
 

私は、昭和39年4月1日長崎県立佐世保北高等学校に、新規採用の英語教師として赴任いたしました。国語科の鹿嶋先生、保健体育科の松永先生、河原先生と同期新採。
北高は、素晴らしい高校でした。八幡台に両翼を広げ、「ふくろうの庭」を抱き、閑静な環境にありました。1学年約600名の前途有望な多士済々の生徒諸君、一騎当千の専門性の高い教職員に恵まれていました。残念なことは、谷間にあったので敷地がやや狭いことでした。私は、ここで6年間学ばせてもらい、研修させていただきました。
北高での思い出は数限りなくありますが、別の機会に述べたいと思います。

 
 

私は、昭和45年3月まで北高に勤務しました。1969年度(昭和44年度)にも様々な出来事がありましたが、私個人にとって、2つのことが忘れ得ぬことです。
1つは別添の「海外の旅'69」(2000年に書いたもの)です。
もう1つは、年度末、即ち1970年3月31日午後8時ごろの出来事。その日も朝から夕方まで学校勤務。早岐の借家へ帰宅して翌日からの新年度への準備(多分新三年生の担任だろうと思って)をしていたら、「電報です!」・・・『アス4ガツ1ニチ ゴゼン8ジニ サガケンリツ カシマコウトウガツコウニ コラレタシ』! まさに、びっくり仰天! 3月24日の人事異動内示に私は呼び出されていなかったのに。
でも、よく考えるとあり得ることだったのです。昭和39年4月長崎県に奉職した時、田淵校長先生に「5年間は勉強させていただきますが、私の特殊な境遇のために5年後は是非佐賀県へ転勤させてください」と、お願いしていたのです。ですから、この年度末ぎりぎりに、佐賀県教委との交渉でバーターが成立したのでした。
とにもかくにも、電報を読んでから、てんやわんや! 転居先を、子どもの保育所を、家財道具等の運送を、家内の転勤先を・・・と、どたばた! 北高と転勤先の鹿島高校の校長先生始め先生方も、その夜はどたばた! だったことでしょう。慌ただしい年度末と年度始めでした。
私の特殊な異動で多くの方々に大変ご迷惑をおかけしたことをあらためてお詫びいたします。そして・・・その年の夏、鹿嶋先生と飲んだ時、いろいろな話を聞いて人の想像力のたくましい事を二人で語り合ったものです。

 
       
 

<近況>

   
  佐世保北高校での6年、佐賀県の高校等での32年教職を全うし、2002年3月末をもって定年退職しました。“Life should be an art.”を理想としている私としては、晴耕雨読と旅行の生活へ移行しました。
老養父母が残してくれた田畑の管理・・・田は小作にだして済みますが・・・があります。畑は十数年放置されていたので、笹・竹・茅・セイタカアワダチソウに覆われていました。少しずつ開墾して、現在やっと50アールほど作物が作れるようになり雑草との闘いをしています。動力機械は一切使わず、鍬や鎌などで運動と思って耕作しています。
 
「雨読」は気の向くままに・・・本だけは十数年かけても読み尽くせないほど買い込んでいますので・・・読んだり眺めたりしています。
退職してから始めたことは「学んで時に之を習う」で、この3年間、佐賀市にある西日本文化サークルで、吟詠、俳句、川柳を習っています。(ご要望があれば次回にでも拙い俳句か川柳を・・・)
  旅行は、一人旅か友人との弥次喜多道中。退職してからは自分でも不思議なのですが、海外へは食指が動かず、国内ばかり毎回5〜7日間の旅です。今年は、長崎・雲仙、愛知万博、黒部立山・金沢、京都、俵山温泉(山口県)、琵琶湖湖畔、錦帯橋・宮島。東京へはここ十数年毎年1〜2回旅行していましたが、今年は機会がありませんでした。来年は東京、東北へも行きたいと思っています。  
  社会的役割としては、藤津郡塩田町(2006年1月からは、嬉野市塩田町)の中の北下久間という部落(120世帯ぐらい)の公民館長と八幡神社の世話人をしています。結構忙しい日々です。
明日からは新年の三社詣の募集・集金をしなければなりません。
 
   
(2005年12月23日)
 
     
  福地先生からは、かつて「北高新聞」に掲載された<青春の1ページ>と題するエッセイもお送りいただきました。  
     
   
     
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